超短篇小説

フィクションです。

No.9 犬は犬でもイッヌのイッヌ

 見事な夕暮れが海の水面に反射している早朝4時過ぎ。195cmの大男が運転する軽トラックの荷台に乗せられた私はそのキラキラとした湾を眺めていた。男はまた車を運転し、今度は砂浜がある海岸へと向かった。砂浜に着くと、どこの国の言葉か分からない文字が書かれた漂着物が無数に打ち上げられており私はそれをひとつひとつ丁寧に見ているのだった。そのことに時間を忘れ夢中になっていた。ふと我に返るとそこには波音がBGMとして流れているのみで人の気配は微塵も無くなっていた。軽トラックもあの大男も既にそこにはいなくなっていた。空を見上げると分厚く黒い雲がすぐそこまで来ていた。

 

 ワイはネッコ。そう、猫だ。名前はアクアリウム。物心ついた時には野良猫となっていてどこかの島の森の奥にいた。野良猫のための島なのか、辺りを見渡すと大量の猫がいた。食料は自給自足。他の猫に取られる前に捕獲して食べなければ生きていくことさえ厳しい島だった。

 

 そんなある日、大型の木造船が島の砂浜に漂着した。中からは30人ほどの男たちが出てきた。網を持っていて彼らは私たち猫を捕獲し船に乗せた。私も捕えられた猫の1匹である。わけもわからないまま船で眠っていた。やがて2,3時間が経過したくらいの時間だろうか、船は港に到着した。男たちに抱えられて陸地へと降り立った。漁港なのか建物内にある籠の中にはたくさんの魚が入っている。空腹だった私は高そうなクエを食えるチャンスだと思いダッシュでクエの元へと走った。クエをフリーで獲得した私は骨さえ残さず綺麗に食べた。しかし食べるのに夢中になりすぎたようだ、辺りには猫の仲間は1匹もおらず男たちの視線がこちらに向いていた。なにか話し合っているように見えた。すると1人の男が私の方へ向かってきた。高身長でガタイの良い男であったためその向かってくる姿は末恐ろしく感じた。怖くて逃げることさえできなかった。見た目に合わないハイトーンな声で何か呟き、そのまま私を抱えると軽トラックに乗せられた。自分で装飾したのだろうか、独特なタッチの絵が全体に描かれている。10分ほどで彼の家と思しき場所に辿り着いた。彼は私を優しく抱き上げて家の中へと案内した。生活感があまりない部屋。家族はいるのだろうか?家具も少ない。果たして本当にここは彼の家なのだろうか?空き家なのではないか?数えきれないほどの疑問が浮かび上がってきた。エサを手に乗せて戻ってきた彼は腰を下ろし私の頭を2,3回撫でた。どうやら優しい人間のようだ。安堵した私は与えられたエサを1粒残さず頬張った。満腹感を得ると再び眠くなってきて再び眠りについたのであった。

 

 次の日から生活は一転した。朝起きるとまたあの車に乗せられた。到着したのはかなり古びた3階建ての建物だった。そのうちの1階にある部屋に入れられると猫がたくさん待っていた。壁には緑色の板が掛けられている。扉が開く音が聞こえ、見てみると男2人が入ってきた。緑の板に白い何かで文字を書き始めた。猫である私は状況が理解できなかった。男たちは何かを書くとしゃべり、また何か書くとしゃべり、これを繰り返した。何度か繰り返しているうちに彼らの声を聞きそれを真似するように鳴く猫が出始めた。私もそれをし始めた。野良猫時代によくモノマネをしていた私には人間の声を真似することも容易かった。そしてそれをしていくうちに私は全てを理解した。彼らは私たち猫に言葉を教えこもうとしている。人間と会話が可能な猫にしようとしているのだ。元々好奇心が旺盛だった私は楽しくなり、のめり込んだ。次の日もまた次の日も言葉の練習に精進した。

 

 それから3ヶ月すると私を世話してくれている彼が話す日本語は8割以上わかるようになった。そんな私はスーパーネッコである。理解できるのみに留まらず、自らが発することも可能になった。そして彼に「アクアリウム」という日本語ではない名前を付けてもらった。野良猫時代は名前などもっていなかったため、このことが尻尾から嬉しかった。

 

「今日のエサ、何が食べたいんけ?」

「や、人の夢とか食べたいにゃん。」

「バクで草」

「マ?ディスられたから魚の缶詰で妥協して草」

「安上がりで優勝した!」

 

 こんな会話さえできるほどに成長した。猫であることをマウントとするために「にゃん」を語尾に付けることは多々ある。とは言えたとえ人間界で生きるとしても差し支えはないだろう。

 

 その日は突然に来た。今日起こることを暗示しているかのように朝から風が吹き荒れ、雨も強く降っていた。いつものように男の車に乗り学校へ行き、教室に入るといかにも偉そうでスーツを着用した人間が5人、黒板の前に立っていた。その内の中央にいた少しヲタクっぽい顔の人間がおもむろに口を開いた。

 

「今日はそこそこ大事な話がある、だからわざわざ来た。(ヲタク特有の早口)」

 

 このようなことはこれまでに無かったためか周りにいるネッコたちの間からも、当然自分からもただならぬ緊張感が滲み出ていた。

 

「成績優秀者の卒業を発表する。」

 

 ざわめきは大きくなった。確かにこの前、今までに受けたことがないようなテストをしたのをよく覚えている。難易度も高そうに感じたテストだ。何人が卒業するのか?卒業ラインとなる点数はまでなのか?そんなことを考えていた。

 

「卒業認定者は…」

 

「おっ??おぉ??」

 

「1人、正確には1匹、と言えば良いかな。」

 

 1匹。ここには365匹集まっている。その中の1匹。マ?そのネッコ、いくらなんでも有能すぎん?

 

「アクア川リウム児ッッ!!」

 

 マ?いや、マ?「はい」、と返事をしなければならないのは心の中では分かっていた。しかしこれまで培ってきた渾身の言い回しがここでも出てしまう。

 

「漏れだけ呼ばれて草」

 

 スーツのヲタク集団は大笑いした。ワイも流石にまずかったかと思い、頬を赤くするほど恥ずかしがった。

 

 「そういうとこだぞ。俺たちがおまえを認めたのは。」

 

 いや、は?この言語能力が認められたんけ?自分でも意味がわからなかった。しかし1/365になれたと言うだけでもかなりイキることができる。そう思うとうれしい以外の感情はなかった。

 

「おまえは今日、いや、今この場をもって卒業だ。突如連れてこられて今まで、大変だったと思う。よく頑張った。」

 

 そう告げられると私はこの学校を後にした。卒業する事実を知っていたのだろうか?男は既に迎えに来ていた。軽トラックの荷台に乗り込み、家へと向かった。いつもなら家では楽しく会話をするのだが何故か男の様子が違う。暗い。寧ろおめでたい日なのだから明るくなっている筈なのに。結局彼は一言も発さず眠りについた。

 

 そして…。いつもより何時間も早い3時に起こされると早々に車に乗せられた。男の表情は依然として晴れない。心配過ぎて声をかけることはできなかった。

 

 この海に1匹残されて何時間が経過したのだろうか。未だに私はこの場を動くことができなかった。男が消えたと気がついてから深く考え、ようやく全てを理解した。学校の卒業は男からの卒業でもあったのだ。彼は本当に親身になって私の面倒をみた。風貌からは考えられないくらい優しくてネッコ想いの男だった。だから私との別れがつらく昨日、そして今日の別れの時までなにも話すことができなかったのだろう。考えてみれば最近少しゲッソリしていたようにも感じる。元々近いうちにこの日が来てしまうことを知っていて飯が喉を通らなくなったのかもしれない。私もとてもつらい。そして悔しい。もっと彼と話したかった。その一方でこれからどうするべきなのか、不安も募っていた。未来に果たして青空は広がっているのか?不安で不安で仕方がなかった。ある時、男が言っていた台詞を思い出した。

 

「いいか?困った時は誰かを頼れ。1人じゃ生きていけない。俺たちは誰かに支えられて誰かを支えて生きていかなければならない。このことをあく肝に命じろ。」

 

 漁港であろうこの場所には漁師と思しき人間がたくさんいた。話しかけることはしなかったがその漁船の近くに客船のような船を見つけた。それに乗った。1時間ほどで目的地に到着した。おりると見たことがないような風景が広がっていた。それほどあそこから離れた場所ではなさそうなのに空は青く澄んでいた。32歳から96歳くらいに見えるおばあさんが話しかけてきた。

 

「おい、そこのネコ。暇なんけ?」

 

「ありえん暇で草」

 

「そうか。なら家においで。イッヌが飼いたいと思ってたんや。今日からよろしくな。」

 

「マ?ワイはネッコで草」

 

「ネッコなんて四捨五入したらイッヌみたいなもんや、どっちでもええからあく来い。」

 

「マ?行って草、メシはタダで食えるんけ?」

 

「もちろん、たくさん用意するからいっぱい食べてな。」

 

 他人に頼ることで明日からまた生きられる。イキれる。いつかあの男に会った時に立派なイッヌになっていたい。そう思いこれからの生活に希望をもった。いつだって明日は来る。